Archive for the ‘政実英雄伝’ Category
九戸政実武将隊研修~宮城県三ノ迫(栗原市)~
5月13日(日)県北広域振興局外に集まったのは、地元の英雄・九戸政実公の志や想いを現代に伝える活動を行っている『九戸政実武将隊』。
今回、およそ200kmも離れた宮城県にある政実ゆかりの地へ研修に行くこととなり、同行取材しました!
途中休憩をはさみ、到着したのは午後1時過ぎ。現地には、栗駒史談会 会長の小野寺邦義さん、そして栗駒史談会 顧問の菅原敏允(としのぶ)さんが待っていました♪
早速お2人と一緒にゆかりの地を巡りました。
【愛宕山上品寺(あたごさん・じょうぼんじ)跡地】
政実公と武将7名が、処刑が決定されるまでの3日間をここで過ごしたと言われています。現在は、個人の方が所有する土地の一部となっておりますが、草むらの中には石碑などが建てられています。
ちなみに、これは3年前に訪れた時の上品寺跡地の様子です。墓標が建てられていて、下には石碑が並べられています。
【東南の丘】
国道457号線を南へ進んだ左側にある『東南の丘』。ここで、斬首されたと言われています。
3年前…上品寺跡地から見える処刑場所。ここで最期の時をどんな想いで過ごしていたのでしょうか…
【九戸政實首級清めの池】
東南の丘の道路向かい側にある『首清めの池』。斬首された政実公の首をこの湧水で清めたと言われています。近くには水芭蕉が咲いていました!
3年前と水の色が違うのがおわかりですね?池の中の土が溜まっているので水の量は本当に少なくなっています。当時は、この田んぼ一体が埋まる位の広大な池で、湧水もコンコンと湧き出ていたそうです。
【九ノ戸神社】
九戸村にあるのは『九戸神社』。宮城県にあるのは『ノ』が間に入った『九ノ戸神社』。
ここは、個人の方の敷地内にある神社ですが国道沿いの場所。どなたでも参拝できるそうです。
神社の中には、九戸城の地図があり『九戸(九戸政実)の乱』の時の配置図が記された看板と、民や一族を守るために『偽りの和議』により斬首された政実公含め8名の名が記された看板も一緒に奉納されています。また、後ろ側には石が何個か置いてありましたが、これがお墓として使われていたものです。以前は林の中にお墓と植樹された椿がありましたが、地域の方々によってお墓は神社の中に…そして慰霊碑と椿を別の場所へ設置したそうです。
【大鳥公園(九ノ戸公園)】
九ノ戸神社から道路斜め向かい辺りにあるこの公園。大きな鳥居を進んで行くと、奥には政実公含め8名の武将の名が刻まれた慰霊碑があります。その横には、椿が植えられています。
3年前に来た時と少し様子が変わりましたが、今でも地域の皆さんにより手厚く崇められているのだと改めて感じました。以前植えられた椿は枯れてしまった様ですが、今新たに植樹したそうです。
今回は、栗原市での研修の様子をご紹介しましたが、武将隊の皆さんはこの後仙台城で研修もして来ました。
「200kmも離れたこの宮城県の地で政実公が手厚く供養されていることを知り、これからも活動により力を入れたい」とお話されていた九戸政実武将隊・隊長の佐藤貴之さん。
今回の研修を活かし、今後の活動・活躍に期待しています。
(ひろ姉)
【九戸政実武将隊】
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・九戸政実プロジェクト(九戸政実武将隊)Twitter⇒こちら!
九戸政実公ゆかりの地~長興寺地区・九戸神社
九戸政実の乱で、豊臣秀吉に援軍を要請して編成された65000人の敵軍に対し、わずか5000人の兵を従え、ひるむことなく立ち向かった、地元の英雄・九戸政実公。今回ご紹介したのは、九戸村・長興寺地区にある「九戸神社」です。
地元の子供達が九戸村内や周辺地域の自然や文化、歴史、人に触れる「九曜塾」。
まずは参拝し、九戸神社 宮司の千葉和彦さんから子供達が、神社にまつわるお話を聞きました。
九戸神社は、842年に建てられたと伝えられている九戸地域を守る総鎮守。九戸家が代々、戦に勝つよう祈願した神社として知られています。
「棟札」・・・建物の建築・修築の記録・記念として、棟木・梁など建物内部の高所に取り付けた札のこと。
九戸神社に残されている旧羽黒神社の棟札には、「大旦那源政実」と記されています。大旦那とは、「依頼主」ということですが、政実が亡くなったのは1591年頃と言われているので、この棟札に記されている年号からすると3歳ほどで神社を建てる依頼主だったと言うことになります。「政実」の名が記されている唯一の史料のため、謎に包まれています。しかも、政実は「源氏」と言うことだったのでしょうか?
そして、実は政実公本人が『祀って欲しい』と夢枕に立って言伝をした…とも言われているんですよ( ゚Д゚)!
そして、この神社には鳥居が2つありますが、中央にある鳥居は『男坂』(傾斜の角度がある)、その横にあるのが『女坂』(傾斜が緩い)と言われているそうですよ(*’▽’)
地元の皆さんに親しまれている『九戸神社』。訪れた際には、皆さんも是非参拝しましょうね!
(ひろ姉)
九戸政実公学習~長興寺編~
九戸村内や周辺地域の自然や文化、歴史、人にふれる体験活動・九曜塾。8月5日(土)地元の英雄・九戸政実について学ぶ『九戸政實公学習』が行われ、講師に木村正樹氏をお迎えして九戸村やお隣二戸市にある政実ゆかりの地をめぐりました。
今回番組では、長興寺をご紹介しました。長興寺の屋根には…
九曜紋!実はこの九曜紋の『曜』は『星』を意味し、真ん中は北極星であると言う説もお話していました( ゚Д゚)!
【公孫樹】
九戸村指定文化財の大きなイチョウの木!高さ32mもあるこのイチョウは、九戸政実が出陣の際に植えたと言い伝えられています。秋には黄色いイチョウの葉が散り落ち、黄金色のじゅうたんの様になりますよ(´▽`)
【長興寺歴住墓誌】
長興寺代々のお墓。27世までの和尚の名が連なっていましたが、この中の4世にあたる永鷲大和尚(えいしゅうだいおしょう)と言う方が政実に文武(学問と武芸の道)を教えたそうです。
【九戸氏先祖代々之墓】
「九戸氏代々は、鎌倉・室町の時代におけるこの九戸の地の領主である。」と言う文から始まる九戸氏について書かれた石碑と共に、九曜紋がついたお墓。お花が供えられていました。
1504年に建てられたと言われている長興寺。かつてはこの地域一帯の中心、そして九戸氏の先祖を弔う菩提寺としても知られています。
さて、この後も政実ゆかりの地めぐりはまだまだ続きました。その様子につきましては、後日番組でご紹介します。
(ひろ姉)
地元の英雄・九戸政実(くのへまさざね)
およそ480年前にここ九戸村で生まれた戦国武将『九戸政実公』は、「天下に喧嘩を売った男」として知られています。その天下とは、『豊臣秀吉』。天下統一を目前に最後に戦ったと言われているのが、この九戸政実なんです。
現在の二戸市に、九戸政実率いる九戸氏の本拠『九戸城』があり、九戸村内にある「大名舘」が居館(住まい)。「熊野舘」が軍事基地だったと言われています。 そんな九戸政実と戦った中央軍や南部本家・そして豊臣軍の連合軍は、総勢6万5千の兵。対して、九戸政実率いる兵はわずか5千。しかし、なかなか九戸の軍を倒すことができなかったんです。
九戸城は、馬淵川・猫渕川・白鳥川…この3つの川に囲まれているので、城のまわりは切り立った崖。この自然の地形を生かして、九戸の軍は様々な攻撃を与えることができたんです。 ついに、中央軍による和議(戦いを終わりにすれば皆の命を助ける)…そう申し立てがあり、一族を想う気持ちの強い政実はついに敵に捕まり、宮城県栗原市・三ノ迫にて斬首されました。そして、この和議も偽りのもの…一族は命を落としたと言われています。
そんな九戸政実公は、地元の英雄として現在も語り継がれています。そのうちの一つとして、『九戸政実武将隊』があります。二戸市を中心に活動しているこの武将隊は、実際甲冑(よろい)などを身にまとい、戦国時代さながらの演舞や殺陣(戦う演技)をしながら、この地元の英雄・九戸政実のPR活動を行っています。
九戸政実プロジェクト突撃隊事務局 今村朗(あきら)さん(写真手前の男性)に、今後の目標を伺いました。
「今後の目標としては、殺陣の質の向上や、武将隊PRの場を多くしたい」
私達、エフエム岩手九戸支局員全員武将隊『おもてなし班』に所属しています。甲冑などを身にまとい、九戸政実をPRする活動です。昨年は、九戸まつりの流し踊りに甲冑を着て参加しました。
毎週、二戸地区合同庁舎にて練習を行っている『九戸政実武将隊』。
殺陣などのパフォーマンスをするため、毎回1時間ほどかけてのウォーミングアップを念入りに行います。
(写真は、カズオの体験の様子です…うめき声だったので、放送では割愛させていただきました)
是非『九戸政実公』の想いを語り継いでみませんか?
九戸政実武将隊に関する詳しいお問い合わせは、二戸地域振興センター内にあります九戸政実プロジェクト突撃隊事務局 電話0195-23-9201までお願いします。
なお、『九戸政実ガイドブック』や『マンガで読む戦国ダンシ九戸政実物語』のパンフレットは、二戸地域振興センター、街の駅まさざね館、そしてどでんスタジオにあります。九戸政実公についてなど詳しく書かれておりますので、是非ご覧くださいね!
九戸政実プロジェクト『戦国ダンシ九戸政実』ホームページ⇒こちら
(『マンガで読む戦国ダンシ九戸政実物語』もホームページから閲覧可能です。)
九戸政実プロジェクト・Twitter⇒こちら
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(ひろ姉)